Contents

とっとり伝統芸能まつり

■主催

鳥取県

鳥取県教育委員会

■運営主体

(NPO)プロデュースハレ

 



越路雨乞踊保存会(表彰団体)

演目 越路雨乞踊 (表彰のみで今回の出演はありません)

  

内容

 越路雨乞踊は、地区の氏神越路神社に属する踊りで、鳥取県の無形民俗文化財に指定されています(昭和三四年十二月二五日)。越路地区は昔から水が十分でなく、稲作などはほとんど雨水(天水(てんすい))に頼っていました。千年ほど昔に、京都の八坂神社から牛頭天王を勧請して越路神社が造られ、以来厳しい旱魃の年には雨乞の祈願が行われていたと伝えられています。

この踊りは雨乞踊りと呼ばれていますが、降雨を祈願するためのものではなく、祈願によって雨を授かった時に、報恩感謝のため神に捧げられる踊りです。正式には、おみくじによって神意をうかがい、「踊り」「お相撲」「お釜立(かまだて)」「お参り」のいずれかを行うもので、記録によれば、宝暦六年(一七五六年)から明治四二年までの間に、合計十回踊りが奉納されています。

 越路雨乞踊は村で発生した踊りではなく、鎌倉を追われ(れい)(せき)(ざん)(さい)(しょう)()(鳥取県鳥取市河原町)に逃れた源範頼に由来すると伝えられています。霊石山麓の越路には、隠棲した範頼の内室の五輪・宝塔があり、江戸末期までの地名も恋路と呼ばれていた事から、範頼と内室の交わりを通じて恋路(越路)の名にふさわしい踊りが受け継がれたのではないかとも云われています。

 雨乞踊りへの参加は各戸一名と決められています。おみくじにより踊りを奉納することが決まった時には、まず「お宿」となる家を決め、その家に全員が集まって踊りの稽古を始めます。稽古に要する日数は二十日以上を費やしたと云われています。

 この雨乞踊りは十種の踊りで構成され、棒振り二名、ささらすり二名、子踊り数名と指揮老人一名、笛と唄を担当する地方(じかた)七~八名、新発意(しんぽち)一名、本踊り十四~十五名の総勢四十数名が参加します。それぞれの役が揃いの衣装・装具などで身を飾りますが、踊りの中心である本踊りは、中心に牡丹と十四、五本の桜の造花を挿し、縁から水色の布を垂らした花笠をかぶり、胸当て、締め太鼓を吊した装いで、中世の田楽を思わせる風流なものです。

踊りは、お宿から行列を組んで、神社の参道を踊りながら神前まで行進する「入端(いりは)」で始まります。一行が鳥居をくぐって神社の境内を一巡し、お祓いを受けます。その後、本踊りが円陣を組んで8種の踊り「忍婦」「嶋小舟」「糸竹」「鎌倉」「住吉」「頭ら」「小笹」「志ら玉」を順に奉納します。新発意が「東西々々姫子達今度の踊りは何々(踊りの名が入る)でござる。中の新発意が音頭を取ってはやし((囃子))かんこ((鞨鼓))の頭ほどよく((程良く))やとい((雇い))申す」と次の踊りの名称を触れてまわると、かんこ頭が「ヒーヤーッ」と声を出して太鼓を叩き、それを合図に踊り子が一斉に立ち上がって、「ソーリャー」の掛け声とともに踊り始めます。踊り子は地方の唄に合わせて締め太鼓を打ちながら踊りますが、唄も踊りも軽くゆるやかなもので、踊りというより舞に近い印象を受けます。八種の踊りを終えると、最後の踊り「(あき)()出端(では))」を踊りながら、再び全員が行列を組み、神社をあとにします。

団体の概要

 昭和四八年十一月に国の「記録作成等を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されたことを期に「越路雨乞踊り保存会」を結成しました。以来、民俗芸能大会等への出演、毎年秋に地区の小学校児童伝承芸能クラブに雨乞踊りの指導を行うなど、伝承保存に努力しているところです。

プロフィール

文献リスト

・荻原直正「越路の雨乞踊り」(『鳥取県立図書館報 砂郷文化』17所収 鳥取県立図書館 1956)【鳥取県立図書館蔵 閲覧可】

・野津 龍「越路の雨乞い踊り」(『鳥取県祭り歳時記』所収 山陰放送 1985)【鳥取県立図書館蔵 閲覧可】

映像記録等リスト

・鳥取県立博物館制作「越路雨乞踊」(1993撮影)

【鳥取県立博物館蔵 鳥取県立博物館ホームページ(デジタルミュージアム)にて公開中】