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とっとり伝統芸能まつり

■主催

鳥取県

鳥取県教育委員会

■運営主体

(NPO)プロデュースハレ

 



東郷浪人踊保存会

演目  東郷浪人踊

この踊りは、鳥取県東伯郡湯梨浜町(旧東郷町)に所在する南条氏の羽衣(うえ)()城落城にまつわる鎮魂の踊りです。そもそも羽衣(うえ)()城とは古書によると「山高くして削れるが如く、谷深くして彫るが如し、頂上には常に白雲を戴き、後は岸壁巍々(ぎぎ)として狐兎の類も近づく能はず」とあります。標高380mの要害堅固な山城です。因幡の国境の交通水運の要地として諸将の羨望の的でもありました。戦国期には出雲の尼子氏、安芸の毛利氏から猛攻を受けることになり、中でも天正年間の毛利吉川勢との戦は凄惨をきわめ、両軍の流血で東郷湖を赤く染めて屍山をなしたといわれ、死者、行方不明者が続出して生き残った者は浪人となって四散してしまいました。

その後、落城した7月20日になると浪人たちが夜陰にまぎれて何処からともなく湖辺に集まり、ありし日の羽衣石城を偲び、城主を慕いながら静かに踊り、夜が明ける頃、また、何処ともなく去って行ったといわれています。これが、浪人踊りの起こりだと伝えられています。

踊りは鎮魂の踊りであるため、その仕草が多く含まれています。寂しさを感じさせる間の長いドウの音、ゆったりとした調子の唄、音を立てない合掌や死者を招き寄せるような所作、音を立てない摺り足のさばき、無言のままで囃し掛け声など一切なく、編笠を深くかぶり顔を隠しています。衣装は近世浪人風の黒装束の南条氏家紋の花クルスを染め抜き、腰には赤ざやの落とし差しで印籠を付け足袋草履ばきです。唄は、南条氏賛歌は法度。そこで遠祖にあたる源氏の源平合戦のくどき文句にすり替えています。

浪人踊は一名、南条踊ともいわれ、勇猛吉川軍は攻めあぐんだあげく、うら盆の休戦日に踊り子に扮して城内に侵入するという奇策をもって勝利したことを持ち帰ったものといい、広島県旧大朝町、山口県岩国市に伝承されています。しかしこれらは勝利の踊りとして勇壮に踊られているため、ここに勝者と敗者の差異がみられます。